いい具合、いい塩梅
こんにちは。
&フォークです。
コミュニケーションにおける「いい具合」という感覚、意外と重要かなと思います。
いい具合だと気分が良い
なんでまたそんなことを思ったのかというと、先日入ったご飯屋さんで良いなぁと感じたことがあったからです。
店員さんを呼ぼうかなぁと思ったときに向こうから気付いてくれたり察してくれたりしてテーブルに来てくれる。それは注文であったりお水のおかわりであったり。
飲食店なんかで声を出して店員さんを呼ぶ行為がちょっと苦手な僕からすると、けっこうありがたいのです!
いくつかパターンがありまして、、
「すいませ~ん」
その声は虚しく喧騒にかき消されていった。
「す、すいませ~ん!」
その声は無駄に大きく店内に響き渡った。
「すいませ~ん。...、すいませ~~ん!」
その声はあてもなくさ迷うだけだった。
みたいな。
どれも自分のさじ加減であったり、自分自身が人目を気にしているだけであったりと器が小さいだけなんですが。。。
しかしまぁでもその辺を気にしてしまう僕からすれば、そういう気持ちにならなくて済むというだけでありがたいですし向こうから良いタイミングで声をかけてくれるとなんだかとても気分が良かったりします。
やりすぎは良くない
当たり前ではありますがむやみに声をかけてくれるのはNGです。。
例えば、入店後メニューを見ながらまだ悩んでいる最中にススッと注文を聞きに来てくれたり。
ことあるごとになんだかスタッフを意識させる接客であったり。
気配りをしていただいているのだとは思いますが、それが裏目に出てしまうこともある場合もありますよね。
今は、それを求めてないんだよ。。
というようなことが。
いや、こちらがその感じを伝えれば良いのかもしれませんができることなら察していただけると助かるなぁという気持ち。
この辺はTHE・日本人という感じでしょうか。
人からされて嬉しいことというのは、
自分がして欲しいと思ったことをしてくれる
というのが基本だと思います。
それを相手から進んで対応してくれるとなったら、喜びが感動に進化するチャンスかと思います。
自分の求めていること以上を提供されたり、想像を超える喜びがあったりして感動することもあると思います。
逆の立場から見れば、相手が今何を求めているかを正確に認識することが大事になってくると思います。
それを提供するタイミングを計ることはもちろん、合わせて提供したらより喜んでもらえることは何かということまで見えてくるとよりたくさん喜んでもらえるかもしれませんね。
難しいところは、喜んでもらいたい気持ちがあるのはいいけどそれが伝わらなかったり空回りしてしまう時がなくはないこと。
これは経験が大きくものを言うところかもしれません。
人それぞれいい具合、いい塩梅の振り幅みたいなものがあるかと思います。
それは心の機微に触れることにも若干通ずるところがあるかもしれませんね。
そんなことで、先日行ったご飯屋さんは僕にとっていい具合の接客でとても良い時間を過ごせたと思います!
何事もちょうどいいがよいですね。
やりすぎは、ちょうどよくないことも多いかもしれません。
そんな気分をダラダラと書き綴らせていただきました。
読んでいただいてありがとうございます!
みなさんのいい具合、いい塩梅体験も聞けたら嬉しいです!
それでは、また。