&フォークの分数人生

30代のシンガーソングライターがのんびり書き綴るエッセイ

夏休みの帰省が楽しみでしょうがなかった少年時代


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こんにちは。

&フォーク(@andfolk)です。

 

学生さんは、そろそろ期末テストでしょうか。ジリジリと暑い教室で答案用紙にカリカリしていた日々、今となっては良い思い出です。

 

お仕事をされている方は、期末テストはないにしても日々の仕事は続いていますよね。季節はさほど関係なく忙殺されている方も少なくないと思います。

 

それでも待ってる、

 

夏休み。

 

二つほど前の記事で吉田拓郎が好きだということを書いたせいか、ここでも夏休みが現れました。

 

「今年の夏も聴きたい曲 超個人的ベスト3」

というタイトルでさらりと書き綴りましたので、よろしければチェックしてみてください。

 

andfolk-kokorokorokoro.hatenablog.com

 

今回はタイトルにある通り、少年時代の夏のお話です。

 

これもまた井上陽水の曲そのままですが、その辺りのシンガーはけっこう好きですからしかたないですね◎

 

それでは、参りましょう。

 

夏休みの帰省で会いに行く

僕は上京するまで静岡県に住んでいました。ほぼ毎日富士山が見えちゃう勢いの、あの静岡県です。

 

父の仕事の都合により静岡で暮らすことになったのですが、静岡は非常に過ごしやすい街でした。上京してから気付きましたが、さわやかというげんこつハンバーグが有名な炭火焼レストランは静岡県にしかなく、全国的に人気だったということに驚きです。

たしかに、さわやかのげんこつハンバーグはハンパないってというやつだと思います。他のハンバーグ屋さんとは違う、肉肉しいおいしさが詰まっております。

 

そんな静岡で暮らしていたのですが、祖母が住んでいたのが和歌山県だったので夏休みになると毎年遊びに行っていたのでした。

 

祖母の家に行く為に乗る新幹線

静岡から和歌山に行く為に母と共にバスや電車を乗り継いで向かうのですが、その移動がそもそも楽しみでした。

 

新幹線に乗れる!

 

特にこの新幹線という乗り物に乗るという行為は、僕にとって相当テンションの上がる非日常を体感できることだったので、非常にワクワクしたものです。

 

今思えば、子供の頃から乗り物に乗るのがけっこう好きな方だったのかもしれません。バス、電車、車、どれもわりかし好きだったような気がします。北海道で乗ったフェリーなんかも楽しかったと記憶しています。

 

新幹線ではきっちり窓側に座らせてもらって、流れる景色を見てキャッキャしていました。駅弁も買ってもらったりして、名古屋あたりで車内販売のアイスクリームも買ってもらったりして。思い出しただけでも、ちょっとワクワクしてしまいます。

 

新大阪からの乗り換えも大冒険

母とともに行動しているので大船に乗った気分での大冒険になりますが、やはり見慣れぬ景色が次々と現れることにワクワクが止まりません。

 

新幹線を降りるのは「新大阪」。そこからはいくつか乗り換えパターンがあったように思いますが、あえてJRを使わないような形で乗り換えをしていった様な気がします。

 

地下鉄で「なんば」へ。

なんばからは「南海電車」に乗って和歌山市駅に。

そこからはバスで、という乗り換えだったと思います。

 

こうなるともう僕からすると、非日常のフルコースとなってくるわけです。

 

普段の生活でバス、電車には滅多に乗らないのでここぞとばかりに楽しみました。楽しむと言っても、普通に切符を買って(もらって)改札に通してそれを取り戻して毋に渡す。

目的の駅で降りたら母から切符を受け取って改札に通して一息ついて。たったそれだけでドキドキしていたなぁと思います。

 

バスも同じで、乗り込む時に整理券を発券機から取ったらすかさず毋に預けます。そして降りるべきバス停の名前がアナウンスされたら「次、止まりますボタン」を押させてもらい、サッと手を出して整理券とともに料金を母から受け取り、料金箱にコトコトと流し込ませてもらって降りるのです。

 

バスの車内で小銭の両替をさせてもらうのも、ちょっと面白かったです。

 

 

そして祖母の家へ

祖母の家に到着する日は、おにぎりとお味噌汁を作ってもらうように事前に連絡して夕方くらいにそれを食べるのでした。(和歌山ではおにぎりのことを「にんにこ」と呼んだりするようです。)

これがおばあちゃんの味というものなのか、母のおにぎりよりもちょっと塩気が強くて美味しかったです。

 

テーブルには梅干しも置いてあって、ついつい食べ過ぎて毋に怒られたこともありました。和歌山の梅干しだからということもありますし、祖母の家で食べる梅干しということもあって、ついつい手を伸ばしてしまうんですよね。

 

 

夏休みに祖母の家に泊まらせてもらう時は、わがままを言ってけっこう長く泊まらせてもらっていました。何か特別なことをすることもなく、祖母の日々の暮らしに僕と母をまぜてもらう感じです。

母とすれば子を見てくれる人が他にいて、少しばかり休める時間ができてよかったのかな。

 

母のお兄さん、お姉さん、つまりおじさんとおばさんにも可愛がってもらって、ホントに最高の時間を過ごすことが出来たのでした。

イカを食べたり、デパートに買い物に行ったり、花火を用意してもらって遊んでもらったり。

家の中でゴロゴロしてゲームボーイテトリスの相手をしてもらったり、マリオでわちゃわちゃしたりして。

 

本当によく遊んでもらって、僕は幸せ者だったなぁと思います。

 

祖母の家に到着する日の夜は、おにぎりとお味噌汁を作ってもらうように事前に連絡して夕方くらいに到着してそれを食べるのでした。

 

祖母の家から静岡へ戻る日

さんざん遊び倒して、夏休みの宿題はあまり進まないことがしょっちゅうでした。それでも静岡に帰る日はやってくるのです。

 

できるだけ長く祖母の家に居たいので、帰る当日のお昼くらいまで遊ばせてもらっていました。おじさんもギリギリまで遊んでくれます。

 

決めていたバスに乗る時間に合わせて祖母に別れを告げ、バス停に歩いて行くのですがすでに寂しいのです

 

バスは祖母の家の前を通って和歌山市駅に向かうので、家の前に祖母とおじさんが立ってくれています。

 

バスが発車して祖母の家を通る前にもう一度手を振れるのですが、そこで母が窓を開けて小さく折り畳んだ手紙を放り投げるのです。

 

祖母とおじさんは笑って手を振ってくれて、手紙に気が付くとおじさんがゆっくりとそれを拾ってくれるのでした。

 

母と祖母たちのそんなやりとりはとても印象的で、あえて手渡しではなくわざわざバスの窓から放り投げるという行為はどこか母のユーモアを感じました。

 

祖母の家が見えなくなる曲がり角をバスが曲がりきるまで、僕たちは手を振りつづけるのでした。

 

帰り道は、いつも寂しい

帰りの電車は行きとは違って、毎年静かなものです。楽しいはずの「非日常」ではあるものの、帰る先は「日常」なのです。

 

母も父も兄もいるし、友達や学校も待っているので楽しいことはあるのです。

 

それでも、祖母の存在は大きかったと思います。

 

地下鉄、電車、新幹線。乗り継いで静岡に帰り着く頃にはすっかり外は暗くなっています。

 

そして家につく頃にはまた日常の夜です。

 

そして僕は...

家に帰り着くと母が祖母に電話をかけてくれて、無事に家に到着したことを伝えます。僕も少し喋らせてもらうのですが、さっきまで目の前にいた祖母と電話で話すことがさらに寂しい気持ちを膨らませてくるのでした。

 

 

さっきまで一緒に居た祖母と電話をする母も、なんだかんだ長電話になります。

 

僕はお風呂に入って歯を磨いて布団に入って眠るのですが、そこにいたるまでにちょこちょこ泣いています。

 

悲しいことなどないはずですが、僕は毎年泣いてしまうのでした。

 

1年に一回、夏休みはテンションを上げて祖母の家に遊びに行く。

 

だけど、帰ってきたら寂しくて泣く。

 

 

どんな精神を持った子供なんだかよくわかりませんが、なんだかとても寂しくて泣くのでした。

 

そして夜が明けて、

 

残り少ない夏休みに宿題を詰め込んで終わっていき、

 

 

また秋が来るのでした。

 

 

 

おわりに

そんなぼくのなつやすを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

僕みたいに、おばぁちゃんちに遊びに行ってさんざん楽しんだ後、帰ってきたら泣いているっていう喜怒哀楽が激しい子供はどれくらいいるのか。。。

 

夏休みしか会えない祖母たちに、特別な何かを感じていたのかもしれませんね。

 

今の僕が帰省するとなったら母の暮らす街に行くことになるのですが、それも年に一度くらいのペースになっています。

 

自分の勝手な都合でいろいろあった時期もありましたが、ここ数年は年に一度会いに行けています。

 

家族である父や母にも、年に一度しか会わないというのもちょっと寂しかったりするんですよね。逆に毎日会っていたら、それはそれでお互いに疲れてしまうのかもしれませんが(笑)

 

どれだけ僕がおじさん、おじいさんになっても、

僕はいつまでも父と母の子供であり兄の弟、

そして祖母の孫ですから。

 

僕は家族と離れて暮らしていますが、

離れて暮らしている今だからこそ、

尊いものだなと感じることができます。

 

 

その姿が見えなくなる曲がり角を曲がりきるその最後まで、しっかりと笑顔で手を振り切ろうと思っています。

 

 

 

 

母や父に会ったあと一人になると、

今もたまにホロッと来ちゃったりするのはここだけの話です。

 

 

 

今回も、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

まさかの夏の思い出だったかとは思いますが、僕の大切な思い出の一部を書き残させていただきました。

 

言えること言えないこと。

言いたいこと言いたくないこと。

 

様々ありますが、

 

伝えたいことは伝えられるうちに。

 

これは絶対だと思います。

 

 

明日があるということを当たり前だとばかり思わずに、たまに思い出してみるのも良いと思います。

 

 

 

今年の夏休みは、

家族に顔でも見せに行くのはいかがでしょうか?

 

 

 

それでは、また。