努力とは「続けること」という言い分にちょっと納得
こんにちは。
&フォークです。
努力というのは、どこからどこまでのことを指すのかちょっとわかりづらいですよね?
自分なりに努力しました。
なんて言葉も、かつて言ったことがある気もします。
しかしながら自分なりにってなんなんでしょうね(笑)最もあやふやでよくわかりません。
(自分自身のことでふ)
努力してる、してないというのはそれそのものはどちらでもよいと思うのです。
結果的に何かに繋がってきたときというのが努力の成果ということになるのだと思うので、何が努力で何が努力でないかということそのものにあまり意味はないのかなぁとも思います。
そんな風なことを考えているときにツイッターで見かけたのが努力とは継続であるみたいな発言。
真意まではくみ取れていないのですが、なんだか納得できる感じ。
逆を考えると、3日間だけ頑張ってやったものを努力したと言えるかどうか?みたいな感じですかね。
条件にもよるかと思いますし、費やした時間だけが正解ということもないでしょう。
でも、たぶん多くの人がそれを努力とは感じられない気がしますよね。
なんてむきから考えると、やっぱり努力は継続であるということの意味もちょっと納得できちゃうのです。
もちろんただ継続するだけでは成長も少ないかと思いますが、毎度考えたり試したりしながら継続しているようなら自然と質も上がっていくでしょう。
そういう姿や背景を見た人たちが、
「あいつ努力してるな!」
みたく感じるのかな。
その継続というものを自分自身が努力と感じないくらい習慣化されていれば、かなり勢いがついている状態な気がします。
自分で自分が努力してると感じているうちは、まだまだ浅いのでしょう。
むしろ好きだから、楽しいからやってるというような人は、かなり最強に近いのだと思います。
例えば練習大好きで有名なスケートの浅田真央さん。
周りの人から休みなさいと言われるくらい練習をしまくるストイックなタイプとのことです。
練習しなきゃいけないなんてことは、おそらく思っていないのでしょう。
ただただ自分が納得のいく、成し遂げたい完璧なプログラムを滑りきる為に練習しているということですよね。
そういう姿こそが、浅田真央さんがこんなにも多くの人に応援される理由の1つであることは間違いないでしょう。
努力とは継続である。
一段一段上るのもいいし、一段飛ばしができるならそれでもいい。
それよりも一歩一歩しっかりと踏みしめていくことを続けて進んでいくことをやめない。
それが努力というもののひとつのすがたなのかもしれません。
あ、でも。
めちゃ辛いとか明らかに不向きとか感じたり、環境が極悪で体や精神がダメになるような場合は方向転換やルート変更はバシバシやっちゃって良いと思います。
とにもかくにも、まずはやってみること。
そしてある程度続けてみること。
このあたりをフットワーク軽くできていくと、いろんなものが身に付いて良いのかもしれませんね!
と、いうような独り言みたいなことを考えている時間でした。
参考になるツイートが見つからなかったのが少々残念。