読書感想文が宿題なら「視聴感想文」でも良いのではないか?という考え
こんにちは。
&フォークです。
今回は読書感想文という夏休みの宿題について、ふと考えたことを書いてみます。
感想文を書くのに「読書」である必要がどこまであるのか、ということです。
読書という方法ではなくとも、その原作が漫画や映画などの本とは別のメディアで作られていればそちらでも内容はキャッチできそうだとも思います。
そんなことをで、僕の結論を先に言うと、
「読書」という方法にこだわる必要はないけれど、活字を読む経験にも繋がるから読書感想文は良いのだろう
というところです。
なぜそう思うのかという理由を3つあげてみます。
- 内容を知ることだけが目的ではなく「本を読む」ことで得られるモノを育ませたいから
- 本に触れさせることで本というメディアに興味を持たせたいから
- ある時からの習慣だから
それぞれちょっとだけ掘り下げていきましょう。
「本を読む」ことで得られるモノ
1.内容を知ることだけが目的ではなく「本を読む」ことで得られるモノを育ませたいから
ということについてです。
読書感想文の目的はいくつもあると思いますが、やはりなんといっても本を読むことで得られるモノを身をもって体感してほしいのだと思います。
- 活字を読むことで言葉遣いや漢字を知る
- 文字だけの情報で想像力を養う
パッと思い付く二つのことだけでも、なんだか国語的であり人間らしい気がしますね◎
漫画でもたくさんの漢字や言葉での表現は出てきますが、やはり活字になっている方がその量は多いでしょう。
わからない漢字が出てきたら都度調べてみる、ということに繋がりやすいのも読書かもしれません。
漫画や映像だと流して進みやすいですからね。
そこで新しく学べることが大きいのかな。
読書だと基本的には文字だけでの表現(行間やスペースもあるとは思いますが)になるので、脳の中で自分で場面をイメージすることに繋がるというのも読書で得られることの一つでしょう。
例えば、
『広い草原が風に吹かれて波打っている』
という一行があったとして、漫画や映画などの視覚で感じられる表現がされていたら特に脳内でイメージすることはないでしょう。
しかし文字だけだったら…。
きっと本を読んでいる人の中(記憶や想像)にある草原をイメージして、その人なりの波打つ状態が思い浮かぶのではないでしょうか。
与えられた描写ではなく、自分なりの描写が描かれる感覚というのが読書の醍醐味の一つかもしれません。
本というメディアに興味を持たせたいから
2.本に触れさせることで本というメディアに興味を持たせたいから
これについては、本に触れる機会を半強制的に作っているような印象です。
人によっては進んで読書をするタイプの人もいるかと思いますが、みんながみんなそういう訳でもないですよね。
漫画は読むけど読書はしない、とか。
漫画でも充分と言えば充分だとも思いますが、活字の本も面白いよ!ということを伝えたいからこその読書感想文という宿題なのかとも思います。
そうやって考えると、こんな方法はどうなのかな?と思いました。
活字の本を全て漫画化したらどうなの?
これはどうでしょうね。超大変かもしれませんが、作品の認知度は上がりそうな気もします。
実現性がないから誰もやらないのかとも思いますが、読者が漫画か活字かを選べるという点だけ考えると理想的なのかな?と思いますね。
最近ではビジネス書を漫画化してまんがでわかる○○みたいな本も増えましたよね!
ホリエモンこと堀江貴文さんの多動力という本も、漫画化されています。
マンガで身につく 多動力 (NewsPicks Comic)
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ねっ。
ホリエモンは漫画というものをとても優れたメディアとして認めている発言も多かったと思うので、内容やエッセンスを得る目的であれば漫画でもなんでも良いということに繋がるのだと思います。
もちろん、好みや考え方の違いはあるのでそこはそれぞれの判断ですよね。
話はそれましたが、とにかく世の中にはたくさんの本があって様々なことを様々な人が書いているからあなたにとって有益な情報を得られる可能性が高いよ!ということを教えてくれているのかもしれません。
読書感想文、なかなかすごい宿題じゃないですか!
ある時からの習慣だから
3.ある時からの習慣だから
これについては、一瞬調べましょう(笑)
いつから読書感想文というのが夏休みの宿題になったのでしょうかねぇ。
僕の見た感じだと、いつから始まったかは正直よくわかりません( ´;゚;∀;゚;)
しかしながら、学習要項(?)で定めがあるようですね。
読書感想文をしなさい、というよりも総合的な国語力アップの為のひとつという位置付けなのかなという感じですね。
僕自身の記憶だと、小4か小5くらいの頃から読書感想文というのはあった気がしますね。
ほとんど覚えていませんが!
でも小さいときに読書感想文の為に買ってもらった本を読んでいた時、兄に「図書館で借りられるような本読んでんじゃねぇよ!」みたいなことを言われてショックだったという記憶はあります。
そんなこと言わないでおくれよ、兄。。。
読書感想文がいつから始まったのかはわかりませんが、国語力アップの為に夏休みという時間をつかっていきましょう!という大人の方々の気持ちは詰まっているようですね!
大人になった今から考えると、とても良いシステムだなぁと思います。
というより、大人になった今でもどんなシステムかでやっても面白い気がしますけどね。
それがレビューだったりブログだったりYouTubeだったりするのかな。
おわりに
そんなことでざざっと書いてきました。
読書感想文という夏休みの宿題で、感想文を書くのに「読書」である必要がどこまであるのか。
僕の結論としては、
「読書」という方法にこだわる必要はないけれど、活字を読む経験にも繋がるから読書感想文は良いのだろう
ということに一旦は落ち着きました。
その理由は、
- 内容を知ることだけが目的ではなく「本を読む」ことで得られるモノを育ませたいから
- 本に触れさせることで本というメディアに興味を持たせたいから
- ある時からの習慣だから
ということです。
子供の頃はジッと読書をすることというのはなかなか難しいことのひとつかもしれません。
読書が好きな子供からすると楽しいかもしれませんが、そうではない子も多いでしょう。
しかし、読書をすることでその先の人生で待ち構えている考えるべきことに対する視野の広さは手に入りそうですよね。
読書に限らず、情報を手に入れて理解し咀嚼する。
その上で自分の考えにまで落とし込んでいくことが必要になるのが大人になることのように思います。
そんな風に考えなくても、目の前のことを一生懸命にやったり行動し続けることだけでも立派ではあります。
そこに読書という習慣が加わっていると、またさらによい結果に繋がる可能性が上がるという感じでしょうか。
読書ではなく視聴感想文でも悪くはないけれど、読書をすることによる脳の働きや感覚の違いを想像すると、幼いうちから読書をして感想を文などでまとめて表現するという行為はとても有効なのかなぁと感じます。
いち一般人の読書感想文に関する感想文でした。