【分数人生】毎日が誰かの誕生日と思えたら、人は優しくなれるのか
こんにちは。
&フォーク(@andfolk)です。
「毎日が同じようなことのくりかえしだなぁ」
なんて思ったこと、ありませんか?
子供の頃も思いましたが、今でもまだ思うことがあります。
僕の場合は誰のせいでもなく、僕のせいなのですが。。。
しかしながら、そんな毎日も考え方によっては見えるものも変わってきますよね。わかっちゃいるけどできないのよってところでもあると思います。
そんな中の一つが、
「毎日が誰かの誕生日」
という考え方。
このなんともハッピーな発想、いかがでしょうか?
非常にどうでも良い話を、していきましょう。
今すれ違った人、誕生日かも?
早速おバカな大きめの文字が飛び出しています。
でもまぁ、可能性はある。
ないこともない話。
横断歩道で肩がぶつからない様に避けて歩いている中、我が物顔で直進してくるGoing may wayな人にイラつくこともありますよね。
そんな時は、
「あの人、今日は誕生日だから許してやるか」
みたく思うことにしましょう。
無理か。
でも、余裕があればやってみましょう。
その余裕がないから、毎日が同じことの繰り返しのように思えてしまっているのかもしれませんがね。。
賑やかな人達、今日は誕生日パーティかな?
こちとら疲れて駅に向かっている途中に視界に飛び込んでくるうるさくて賑やかな団体さん。
「やいやい、いったいなんなんでぃ。。。」
そんな風に思うこと、ありますよね。
そんな時も、
「あの連中の中に、今日誕生日の人がいるんだろうから仕方ないか」
みたく思うことにしましょう。
やっぱ無理か。
でも、余裕があればやってみましょう。
もしかしたら、自分がそういう状況の時に周りからもそんな風に思われているかもしれませんからね。
いつだって、もう少し優しくなりたい
実際に、今日も明日もあさっても誰かの誕生日。こればっかりは当たり前と言うかしぜんなことですよね。
産婦人科や病院にいけば、産声をあげる赤ちゃんだって毎日いるはず。
人間だもの。
そんなこたぁわかってはいるんですよね。何度も出てきますが、わかっちゃぁいるのです。そんなことくらいは。
しかしそうは言ってもその辺をコントロールするのは意外と難しかったりして、嫌んなっちゃうってなもんです。
できることならいつだって優しくありたいもの。
優しいって言ったって、なにも誰かに甘い顔をするってわけじゃありません。
ほんのちょっと心に余裕がある。
それだけでいいんだけどなぁって、思ったりもします。
Going may wayな人、
うるさくて賑やかな団体さん。
などなど。
なんだかちょっと「ムムム」な状況の時に微笑み返ししてやれるくらいのほんのちょっとの余裕があれば、いいのになぁって思います。
おわりに
いつもそうなのですが、いつもに増してどうでもいい話を書いてしまいました。
これを一つの記事として残すのもどうかと思いますが、僕の発想を知るひとつとして残しておきましょう。
そして、
これから一つでも多くの誰かの役に立つ内容を書いていくことにします!
(でもたまに、ほわほわした記事も書いちゃうかも)
いざとなったら封印しましょう、そうしましょう!
それも一つの手ですよね。
「毎日が誰かの誕生日と思えたら、人は優しくなれるのか」
結論は、
優しくはなるのはちょっとムズイかも。
ただ、発想の転換で僕たちは日々の向き合い方を変えることができそうだ。
ということですかね。
ほんのわずかでも、昨日と今日の違いを見つけましょう。
もっと言えば、「違いを作りましょう」ということ。
昨日と同じ電車に乗ったって、それは昨日ではなく今日のこと。
同じ日なんて二度とはないのです。
毎日誰かが産声をあげるという嬉しいことがあるということは、あまり考えたくはありませんがその逆だって充分あり得るということ。
当たり前の明日なんて、ないと思っていた方が本当は良いのかもしれません。
過去は変えられない。
変えられるのは次の一秒だけ。
その積み重ねが明日であり、未来なのです。
みたいなことを、たぶんどこかで誰かも言っています。
自分にとって腑に落ちる言葉をみつけて、一度きりの今日を過ごしていきましょう。
本当に、なんでもない話を最後まで読み進めていただいてありがとうございます。
知識も根拠もない僕の考え方ですが、こういうことに思いを馳せたりするのはけっこう好きな方なので、また書きます(笑)
それでは、
今日も無理せず参りましょう。